HIKARI NANAIRO WORLD
トルコの民族楽器サズの弾き語り 詠語り人(うたがたりびと)ひかりです!
3年が経って
昨日、岩手から帰ってきました。
ブログを書こうか、すっごく悩んだんだけど、
やっぱり書かないとって思ったので、
書きます。
東北新幹線で、東京から盛岡まで。
そこから、東北本線で釜石まで。
かっし川を渡って、街に出ます。

川沿いには、たくさんの土のう。
煙突の煙は、新日鉄釜石製鉄所。

新しい家と、更地と、建設中の建物…。
阪神大震災を思い出しました。
どこに、気持ちを置けばいいのか迷った。
現実を見つめたり、見つめたくなかったり。
2泊したのは、釜石港近くのホテル。
ロビーに、震災時の写真が貼ってあった。
1階の天井まで、浸水。
軽トラックが、建物の中に流れて来ている写真、
瓦礫と自衛隊の人たちの写真…。
止まったままの写真からは、
当時の状況が、リアルに伝わって来ない。
帰宅してから、映像を見て、衝撃を受けました。
世界一安全だと言われた、釜石の防波堤を、
やすやすと乗り越えた、津波。
あそこもここも、全部流れたんだなぁって。
帰る日の午前2時半頃に、震度4。
9階の部屋だったので、かなり揺れました。
すぐに、防災行政無線が聞こえてきたの。
「震度4の地震を観測しました。
テレビ、ラジオをつけて、
落ち着いて行動してください」
しばらくしてから、
「先程、発生した地震による津波の心配はありません。
今後の余震には、十分ご注意ください」
男性の声で、ゆっくりとした放送。
何度も繰り返されました。
朝食時、レストランの従業員のおばさんと、
「揺れましたねぇ」って。
釜石は、最近、揺れてなかったらしく、
びっくりしたって。
私が、阪神大震災の時、
エレベーターに閉じ込められた恐怖から、
「寝る時は、いつでも外に出られる格好なんです」
って言ったら、おばさんが、
「私も同じよ!どこに行っても、いっつも
どこから逃げられるかを、考えてしまうのよ」って。
他にお客さんがいなかったから、色んな話をしました。
「私、タカラヅカが好きでね。
震災前は、東京に、よく舞台を観に行ったのよ。
でも、東京も恐くて、もう行けなくなってしまったわ」
って言ってた。
「ごちそうさま」
「お気をつけて」
「頑張りましょうね」
「はい、頑張りましょうね」
何の意識もせずに、
スッと、「頑張りましょうね」って言えた自分が、
嬉しかった。
通りすがりの私なのに、
おばさんと、心からの笑顔が交わせて、
泣きそうになった。
岩手に行くきっかけになったのは、ある出会いから。
福島に、3年間、ボランティアとして、
通い続けている人と、話す機会があったの。
「3年経っても、行く度に涙が止まりません。
被災地には、行かないんですか?」
と聞かれて、ドキッ。
「行っておいた方がいいですよ」って言われた時、
背中を、強く、バンって叩かれたように感じたの。
宮城の女川に続いて、
大きな犠牲者率が発生した大槌には、
14日に行きました。
前日、小佐野で会ったお若い男性が、
「大槌は、何もないですよ」って。
本当に、何もありませんでした。
大槌町のことを書くのには、
ちょっと時間が必要なので、また後で。
ブログを書こうか、すっごく悩んだんだけど、
やっぱり書かないとって思ったので、
書きます。
東北新幹線で、東京から盛岡まで。
そこから、東北本線で釜石まで。
かっし川を渡って、街に出ます。

川沿いには、たくさんの土のう。
煙突の煙は、新日鉄釜石製鉄所。

新しい家と、更地と、建設中の建物…。
阪神大震災を思い出しました。
どこに、気持ちを置けばいいのか迷った。
現実を見つめたり、見つめたくなかったり。
2泊したのは、釜石港近くのホテル。
ロビーに、震災時の写真が貼ってあった。
1階の天井まで、浸水。
軽トラックが、建物の中に流れて来ている写真、
瓦礫と自衛隊の人たちの写真…。
止まったままの写真からは、
当時の状況が、リアルに伝わって来ない。
帰宅してから、映像を見て、衝撃を受けました。
世界一安全だと言われた、釜石の防波堤を、
やすやすと乗り越えた、津波。
あそこもここも、全部流れたんだなぁって。
帰る日の午前2時半頃に、震度4。
9階の部屋だったので、かなり揺れました。
すぐに、防災行政無線が聞こえてきたの。
「震度4の地震を観測しました。
テレビ、ラジオをつけて、
落ち着いて行動してください」
しばらくしてから、
「先程、発生した地震による津波の心配はありません。
今後の余震には、十分ご注意ください」
男性の声で、ゆっくりとした放送。
何度も繰り返されました。
朝食時、レストランの従業員のおばさんと、
「揺れましたねぇ」って。
釜石は、最近、揺れてなかったらしく、
びっくりしたって。
私が、阪神大震災の時、
エレベーターに閉じ込められた恐怖から、
「寝る時は、いつでも外に出られる格好なんです」
って言ったら、おばさんが、
「私も同じよ!どこに行っても、いっつも
どこから逃げられるかを、考えてしまうのよ」って。
他にお客さんがいなかったから、色んな話をしました。
「私、タカラヅカが好きでね。
震災前は、東京に、よく舞台を観に行ったのよ。
でも、東京も恐くて、もう行けなくなってしまったわ」
って言ってた。
「ごちそうさま」
「お気をつけて」
「頑張りましょうね」
「はい、頑張りましょうね」
何の意識もせずに、
スッと、「頑張りましょうね」って言えた自分が、
嬉しかった。
通りすがりの私なのに、
おばさんと、心からの笑顔が交わせて、
泣きそうになった。
岩手に行くきっかけになったのは、ある出会いから。
福島に、3年間、ボランティアとして、
通い続けている人と、話す機会があったの。
「3年経っても、行く度に涙が止まりません。
被災地には、行かないんですか?」
と聞かれて、ドキッ。
「行っておいた方がいいですよ」って言われた時、
背中を、強く、バンって叩かれたように感じたの。
宮城の女川に続いて、
大きな犠牲者率が発生した大槌には、
14日に行きました。
前日、小佐野で会ったお若い男性が、
「大槌は、何もないですよ」って。
本当に、何もありませんでした。
大槌町のことを書くのには、
ちょっと時間が必要なので、また後で。
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